新潟県の生家では、年末になると恒例のように手造りで納豆造りをして、お正月のご馳走の一つでした。金吾はあの懐かしい納豆の味をもう一度と、いそいそと心弾ませ納豆造りに精を出しました。けして順風満帆ではなく、糸引きが思わしくなかったり、量を増やすとまたうまくいかない・・・と試作と失敗の繰り返しでした。試行錯誤を重ねていくうちにようやく満足いく納豆造りに成功しました。 ところが、当時の桑名の人々には、味も食感も奇異な代物。自転車で納豆を行商しましたが、「こんな腐ったもの売りに来て」と怒られる毎日でした。桑名では納豆というと甘い 甘納豆しかしられていませんでした。しかし、金吾の情熱と地道な努力で、桑名の町に納豆のファンが増えてきました。

納豆製造所といえるほどになった頃